世界をリードした特撮のパイオニア円谷英二の映像にかけた創意工夫

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近年、SFXやVFXなど特殊撮影を利用した映画は多く、また特撮はその名称から単に特殊撮影の事をさすものではなくなりました。特撮とは特殊撮影の略のことを言うのですが。

特撮と呼ぶことで、怪獣映画やSF映画、アクション映画やホラー映画に至るまでそのくくりとして大きく意味を成すようになりました。つまりこの特撮そのものが文化の一つとなっているのです。海外でも撮影技術としてミニチュアワークや特殊効果を使用した映画はたくさんありますが、この先ほどの意味をなす、特撮という文化は日本独自で発達し、日本が世界をリードした分野なのです。それはひとえに映画とテレビの功績があるでしょう。

 

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その功績の最たる作品の代表が1954年に公開された「ゴジラ」と1966年に放映が始まった「ウルトラマン」です。

ゴジラとウルトラマンはともに特撮を代表する作品として世に名を残す名作です。

ゴジラは怪獣を起爆剤に日本の特撮文化は一気に躍進しました。この怪獣映画ゴジラは、水爆実験によって巨大化した巨大怪獣ゴジラが東京を暴れまわるリアルな映像表現で当時の観客の度肝を抜き大ヒットを記録しました。

またウルトラマンは巨大怪獣と巨大ヒーローの戦いをテレビで見れるという当時としては画期的なコンセプトのもとに制作されました。

 

 

特撮の神様の苦悩

 

ゴジラの特撮を担当し映画史上に名を遺した円谷英二(つぶらや えいじ)という人物。彼は現在特撮業界では「特撮の神様」と言われています。

 

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特撮というジャンルの生みの親である円谷英二監督は、1901年に福島県須賀川市で生まれました。

現在の須賀川市の須賀川駅にはウルトラマンのモニュメントが佇んで円谷監督の軌跡を感じることができます。

 

しかしその円谷監督が初めて特技監督としてスタッフクレジットされたのは1955年公開のゴジラの逆襲という映画でした。

この作品はゴジラシリーズの二作目にあたります。この時に円谷監督はすでに54歳という年齢。一作目のゴジラでは特殊技術の圓谷英二としてクレジットされています。

 

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つまりその当時は特撮という分野は映画史上ではトリック撮影としての単なる技術の1つとでしかなかったのです。

円谷監督は「ハワイマレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」といった海軍の軍事高揚映画などで特殊技術の手腕を発揮していましたが、現在のように特撮という分野の主題を飾る肩書きはゴジラの逆襲から始まります。

しかしそんな円谷英二監督はそもそも映画の道を少年時代に志してはいませんでした。彼の中にはいつも大空を自由に飛ぶ飛行機のパイロットの夢がありました。

 

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16歳の時に飛行学校に家族の反対を押しのけて入学しますが、円谷監督が入学した日本飛行学校は飛行機の機体が一機のみ。しかも入学してまもなくその一機に乗った教官が事故により飛行中に墜落、教官もなくなってしまいます。

その教官は円谷少年を飛行学校に推薦してくれた人物でもあり、彼がなくなり飛行機がなくなってしまったことで彼の夢は破れてしまいます。

16歳の少年の心にどんな気持ちを残したのかは想像がつきません。

そんな苦悩をはねのけたのは映画界に縁があって入った時でした。その時カメラマンなどの撮影部として撮影所に入社した円谷監督は誰も挑戦しようとしない、危険な空中撮影を率先してやったのです。

その時に、彼の空を飛びたいという夢を駆り立てたその気持ちがまた別のカタチとして結ばれた瞬間だったのでしょう。

人生を歩んでいくときに一度や二度の挫折で簡単に人生を諦めず、腐らず、その人自身の人生を歩む事が重要なのだと思います。自分の心に夢を持ち続けることの大切さがいかに大事かを学んだような気がします。

 

 

 創意工夫の精神

 

ひとえに特殊技術撮影といっても具体的に「こうすれば撮影できる」といったものが円谷監督が生み出した当時の特撮業界にあったわけではありません。

つまり手探りの中でいかに、ありえないものを映し出していくのかといった工夫を1から考えなければなりませんでした。

 

ゴジラといった巨大怪獣をデジタル合成のない時代にどう映像化するのか、大艦隊が大海原を進むときにどう撮ればそれを表現できるのかといった教科書はもちろんありません。

 

そこで考えたのが怪獣の着ぐるみとミニチュアワークでした。怪獣の中に人が入りその俳優が怪獣を演じることで怪獣になりきりそれを映し出す。

 

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また巨大怪獣が本編の映像の中で暴れまわるためには街のスケールを小さく作りそれを縦横無尽に破壊することで本編ではあたかも街が怪獣によって破壊されるように見える迫力のシーンをデジタル合成のない時代に創り出すことに成功しました。

 

ちなみに1954年公開の映画「ゴジラ」の本編で国会議事堂が破壊される映像を見た当時の観客は歓声を上げたそうです。今も昔も政府に対する大衆の不満は同じなのかもしれません。

 

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また大艦隊を出撃させるシーンでは、もちろん本当に艦隊を海に走らせるわけにはいかず。艦隊が大海原を進んでいくそのシーンに絶対に必要なものは水でした。

 

しかし水はスケールの小さい艦隊をプールに浮かべると水のしずくが大きくなってしまうのと波が艦隊のスケールに伴わない波になってしまう難点がありました。

 

また大艦隊をかっこよくみせるためには海を俯瞰して空中から撮影したように見せる必要があります。水槽の水を使っていては海の太陽の照り返しからくる水のきらめきは表現できません。

 

そこで円谷監督は寒天を利用します。

 

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表面が光を反射し弾力のある寒天を利用してそこにミニチュアの艦隊を浮かべることであたかも大艦隊が大海原を突き進んでいくように見せることに成功します。

そう些細なところにも新しいことを生み出す精神が存在しているのです。

 

現在からしてみればミニチュアを使って撮影するという事はなんら新しいことではないかもしれません、しかし、映画は大画面に映し出されるため、ミニチュアだからこそ、その撮影がおろそかになっていてはすぐに観客に伝わってしまいます。

しかしそういったことをはねのけて、映画を見た観客に感動を与え、今の時代に特撮映画というジャンルを開いた功績は大きな布石だったのだと思います。

 

発想のもとは常に身近にある

 

建物のスケールを小さくする発想、海を表現するために寒天を使う発想。どれも当時の日常をちょっとした違う視点からみただけで人の感動を呼ぶものが作れる典型的例ではないでしょうか。

 

円谷監督は常にそういった新しいものを考えそれをどうやって映画に生かすかを考えていたようです。たとえば今では当たり前になった液体洗剤が円谷監督の時代に初めて生まれてきました。

 

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液体洗剤が発売されてまもなく円谷監督はその洗剤を購入してそのドロドロとした質感を使って何か使えないかと思考していたようです。

円谷監督は新しい素材や新しい製品が登場するたびにその製品を手元にそろえて常に発想のアンテナと呼ぶべきアイデアを考えていたようです。

 

また寒天に至っては素材としては昔からあるものです。しかし食べ物というくくりだけで物事を考えず、この食材は何か別のモノに使えないかと多角的に物事を考えていたからこそ工夫を凝らした作品が出来上がったのだと思います。

たとえば現代においても技術が登場するたびに何かに使えないかと考える発想の種さえあればもしかしたら誰でも新しい技術のパイオニアになれるのかもしれません。

 

円谷監督が少年時代に飛行機乗りの夢を挫折したことで人生をあきらめなかったように、自分自身の抱いている夢や希望、ポジティブであきらめない発想を忘れてはならないと思います。

 

特撮の今

 

そんな円谷監督が生み出した特撮業界は実は風前の灯となっているのが現状です。

CG技術とコンピューターの進歩によって特撮も新しい技術に置き換わろうとしています。新技術が生み出されてしまった以上仕方のないことなのかもしれません。

 

しかし、文化の一つである映画において当時の観客を感動させ熱狂させた特撮という分野が廃れてしまうのは非常に悲しいことです。

 

人々を感動させて形作ってきた文化がなくなってしまうのを止めるのは、次なる世代に伝えるという今現在の歴史を歩む、今を生きる人間にしかできない事だと思います。

それを止めるのに必要な発想を学ぶためにも今だからこそ特撮映画が再興するときが来ているのだと思います。

そして日本が誇れる技術文化、それも人々を感動させることのできる特撮文化をもう一度見つめなおすことで新たな次世代に向けたアイデアが生まれてくると信じています。

 

また、特撮という分野において、現代の第一人者の方々が論文を全文掲載しているサイトがあります、こちらも読んでみるとまた新たな魅力を発見できるかもしれません。

 

リンク:http://mediag.jp/project/project/tokusatsu-report.html

 

   

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