不必要な人間はいない!熱い映画「ダイ・ハード」

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アクション映画というジャンルはアメリカ映画においてもっともよくつくられているエンターテイメント作品で、観客の感じる臨場感も迫力があり世界中で人気があります。今回は数あるアクション映画の中でもダイ・ハードの見どころと群を抜いた時代性を担った大ヒットの裏側を見ていきます。

 

 

映画「ダイ・ハード」は1988年7月15日にアメリカで公開されたアクション映画。
あらすじは以下から

クリスマス・イヴ。ニューヨーク市警察のジョン・マクレーン部長刑事は別居中の妻ホリーに会うため、ロスアンジェルス空港に降り立つ。パーティが開催されていたナカトミ商事のオフィスでホリーと再会したマクレーンだったが、突如その場に、西ドイツ人テロリストのハンス・グルーバーとその部下が重武装で乱入してきた。社員全員が彼らの人質になるが、別の部屋にいたマクレーンは脱出する。ハンスはナカトミ商事社長のタカギを社長室に連れ出し、金庫へのアクセス・コードを問いただす。襲撃の目的が6億4千万ドルの無記名債券であり、人質は囮だと明かすハンスは、協力を拒むタカギを射殺してしまう。
そしてその現場をジョンが目撃したことにより、彼とテロリストたちの
息詰まる戦いが始まった。

Wikipediaより

 

 

ダイハードを監督した、ジョン・マクティアナン監督はそれまでの映画で「プレデター」という作品を監督していました。

プレデターは宇宙人が地球のジャングルで人間狩りをするというスリリングなエンターテイメント作品となりました。

それまでの宇宙人のイメージは、リドリー・スコット監督作品の映画「エイリアン」のように恐ろしくドロドロとした質感のホラー要素の強いものやスティーブン・スピルバーグ監督が監督した「未知との遭遇」のように目が大きくグレイと呼ばれる幼児体型の宇宙人、また、H・Gウェルズの「宇宙戦争」に出てくるようなタコ型の宇宙人像が主流でした。

 

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また映画史において映画「エイリアン」における画期的なそのデザインは越えることができないだろうと言われていました。

しかし、映画プレデターは特殊メイクなどの視覚効果の一流スタッフ、スタン・ウィストンはそれまで見たこともない人型の宇宙人を生み出すことを試みます。

ジョン・マクティアナン監督はCM業界出身の監督ですが、以前『制作背景から見る、映画『ブレードランナー』』で紹介したリドリー・スコット監督のように特別映像にこだわる監督というよりも、演出に重きを置いて撮影する監督だったようです。

それは、CM業界という場所よりも自分の脚本を映画化してデビューしたところに現れているのではないかと感じます。自分のイメージを具体的な形で物語として脚本化し、それを演出できるというのは演技をしっかりと芝居として演出できる技量がなければなしえるものではないからです。

そんな、しっかりとした演出を撮れるからこそ、人間ドラマに突出した作品ではなくアクションエンターテイメントに特化した「ダイ・ハード」を監督できたのかもしれません。

 

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主人公、ジョン・マクレーンの人間性

 

主人公ジョン・マクレーンは刑事です。

法を守り正義の象徴として社会に関わる職業でありながら、マクレーンの人間性は正義とは真逆の自分勝手で自由奔放な男として映画では描かれています。

 

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物語序盤、テロリストに占拠されるナカトミビルに向かう車中で、主人公マクレーンは運転手に妻との不仲を吐露します。

彼は彼女が大手日本企業に勤める部長で自分の妻にも関わらずマクレーンという苗字を使わない事に腹を立てさらに喧嘩になってしまいます。

妻は、「日本の企業は既婚者に対していいイメージを持たない」という働くために必要な彼女なりの正当な理由で姓を名乗らなかったのですが、マクレーンは頑固に聞き入れません。

そしてここで、マクレーンという人間が頑固で自己中心的というのが主演のブルース・ウィリスの芝居と監督の演出によって浮彫にされます。

それまでのアクション映画ではシルベスター・スタローン主演の映画「ランボー」のようにベトナム戦争によって心に傷を負ってしまい、それが再燃し暴走してしまう悲哀をもった主人公を描いた映画や、逆にシュワルツェネッガー主演の映画「コマンドー」のように完全無欠のヒーローを描いたアクション映画が商業映画では主流になっていました。

しかし、ダイ・ハードのマクレーンはそういった主人公たちとは逸脱した人間性を持っていて、他人の同情を誘わないような自分勝手な人間を主人公にした点でも画期的でした。

ダイ・ハードの制作時期の1980年代後半、日本はバブル経済まっただ中で、こうしたハリウッド映画でも頻繁に日本の企業が扱われていました。SFアクション映画のシュワルツェネッガー主演「トータル・リコール」では未来の街並みにFUJIFILMの広告が大きく写し出されたりしています。

現在は中国を舞台にしたハリウッド映画がよくつくられています。トム・クルーズ主演の「ミッション・イン・ポッシブルゴーストプロトコル」では上海の街並みを利用していました。

ハリウッド映画では、よくそういった時代性を担うものを取り入れることで映画の中に観客に対して現実的感覚を呼ぶような作品作りをしています。

 

 

 ボロボロになる主人公から見出す作品の価値

 

映画ダイハードはヒーローアクションの象徴西部劇の名優ロイ・ロジャースから引用し、`ロイ`をあだ名として呼ばせることにこの映画のセンスの良さを感じます。

そういった小粋な演出はCM出身の監督のセンスがなせる業だったのかもしれません。また監督は音楽大学を卒業していることもあり、リズムやセンスを併せ持つ演出家でもあります。監督が「映画は音楽と似ている」といっているようにダイ・ハードのようなスピード感や臨場感のある演出は一番の見どころです。

 

ダイ・ハードにおいてもうひとつ画期的だったのは、テロリストを完全無欠に倒していくのではなく物語が進むにつれてテロリストとともに刑事マクレーンも血を流しなら死にもの狂いでテロリストに立ち向かっていくその姿でした。

愚痴を言いながらも頑固に戦い続けるのは、そのマクレーンの人間性によるものだったというのが映画を見ているとわかります。

日常生活においては、不必要で迷惑な自己中心的な人間もこういった非常事態においては必要な人材だったというのを僕は感じてしまいました。日常的な視点では気づかせてくれない非日常的な状態だからこそ、その人間にしか出来ない事があるのだと思います。

つまり人間を描き尚且つアクション映画として面白い映画で、またその当時の時代性を反映した作品だったからこそ大ヒット作品となりえたのだと思うのです。

映画「ダイ・ハード」のタイトルの意味には「頑固者」、「保守主義者」、「最後まで抵抗する者」、「なかなか死なない者(不死身)」という意味があります。

 

保守主義者でも頑固者でも人生はどこか状況と場所と時代が変われば必要とされる人間になれるのです。

その時がくるまで、何か自分の頑固な信念を持ち続けることも必要なことなのかもしれません。

 

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